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zoom RSS まち歩き〜 その2

<<   作成日時 : 2010/09/06 12:47   >>

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こんにちは〜。今日もおあつうございます。

今朝はすこーしだけ涼しかったですが、お昼はやっぱり暑くなりました…

第2弾!ウォーキングの途中見つけたもの…
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またまた堤防に埋め込まれていたものですが、

「秋田杉の筏流し」 (いかだながし)

文禄2年(1593年)豊臣秀吉の命で、軍艦建造用の船材が送られたという記録があり、この頃から筏流しが行われていたようです。
江戸時代には米代川、阿仁川、藤琴川を下って集められた杉の丸太が二ツ井の場所で大筏に組まれて能代湊まで運ばれた。明治に入り筏流しは官行事業となtり森林鉄道ができた頃に徐々に無くなったそうです。その後昭和30年代にトラック輸送に切り替えられ、昭和39年には姿を消したとある。(参考:ぐるりふたついより)


米代川堤防から駅へ向かう角に建っていた標柱…
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「二ツ井の舟場跡」
大きくしてみました。
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「蓑虫山人全国周遊日記 秋田編 君待坂の風景」

その横に書かれている文は
 四方を丘陵とする米代川右岸に位置する。明治9年に、中世からの村、比井野と薄井と合併して二ツ井となる。舟場は、駅前通りの商店街を抜ける道の突き当たった川岸にあった。
 倉庫が2棟あって、阿仁銅山の粗銅また銅山へ納める木炭等を収蔵し駅まではトロッコで運搬したという。町並みが旧舟場を根ッコに開けている点を見ても、米代川の舟運がいかに大きな役割を果たしてきたか用意に創造できる。
 今も毎月5日の市が開かれ「比井野由来記」にも延享4年(1447年)すでに市(年二回7月7日と十二月十二日)があったことが記されている。
『二ツ井町史』には毎日の大館〜能代間の定期便は二ツ井町を中継宿泊地とし、また阿仁銅山の役人たちが二ツ井で下船、人力車で秋田へ向かったもののようだ。
二ツ井船場の常時繋舟は十三艘とある。


昔は目の前の川を舟が行き来していたんですね。

まだまだ発見がありましたので次回よろしくね

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内 容 ニックネーム/日時
今は、宿泊施設がないとは行きたくてもいけない町、通過するだけだけの町ですね。
誕生者
2010/09/09 07:33

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